下関駅・唐戸エリア

高杉晋作終焉の地

高杉晋作終焉の地

SPOT DATA

高杉晋作終焉の地
住所: 〒750-0063 山口県下関市新地町3番 妙蓮寺前
TEL: 083-231-1350(下関市観光政策課)

高杉晋作は労咳で体調が優れない中、第二次長州征伐で幕府軍と戦い、さらに悪化したため、1866(慶応2)年秋に愛人おうのに看病されながら療養生活に入りました。
翌年春先から病状は重篤となり、4月14日に大政奉還を見ずして数え年27歳という若さで亡くなりました。
遺骸は晋作の遺言により、奇兵隊の本営があった吉田に埋葬されました。

死の直前、晋作は「おもしろきこともなき世をおもしろく」という句を書き残し、晋作をかくまっていた幕末の女流歌人・野村望東尼(のむらもとに)が「すみなすものは心なりけり」と下の句を詠んだと言われています。

亡くなった場所は林算九郎邸の離れ屋敷で、現在その場所は下関駅近くの住宅地の中の空き地になっています。
この場所は今でこそ小さな公園として整備され、晋作の命日である4月14日には吉田の墓前と同様に、東行忌(東行は高杉晋作の号)として供養祭が営まれていますが、一時期、終焉の地の碑のあたりはごみの収集場所となっていて何の目印もなく、観光客も場所を探すのが大変でした。

この惨状を見た博物館の学芸員の方が声を上げ、地元の人たちともに市を動かして現在の整備された状態になったのです。
国道にも場所の表示がされ、訪れる方々への不便もなくなりました。
歴史の街に住む人たちの力で行政を動かしたと言える出来事です。