下関駅・唐戸エリア

春帆楼と日清講和記念館

春帆楼と日清講和記念館

SPOT DATA

春帆楼と日清講和記念館
住所: 〒750-0003 山口県下関市 阿弥陀寺町4−2
TEL: 083-223-7181
営業時間: 11:00~22:00(予約制)
定休日: 無休

坂本龍馬が下関の拠点として利用していた本陣伊藤家に隣接した場所に、老舗ふぐ料理店春帆楼(しゅんぱんろう)があります。
豊前中津の藤野玄洋が伊藤家の招きで下関に眼科医院を開き、長期療養者のために風呂や休憩所を併設して、玄洋の妻・みちが手料理を供したのがはじまりです。
玄洋が奇兵隊の軍医をつとめたことが長州の志士たちとの親交を生み、伊藤博文や山縣有朋なども頻繁に訪れたようです。玄洋の死後、みちは割烹を開き伊藤博文(本陣伊藤家とは無関係)が「春帆楼」と名づけました。

春帆楼を一躍有名にしたのは、1888(明治21)年にふぐ料理公許第一号に認定されたことによります。
伊藤博文が春帆楼に宿泊した折、たまたま海が時化て出す魚がなかったため、手打ち覚悟で女将のみちが当時禁制だったふぐを出しました。伊藤はあまりの美味さに当時の山口県令(県知事)に命じて、豊臣秀吉の頃から続いていたふぐ食の禁令を解いたと言われています。

その後も、明治維新後急速に近代化を進めた日本の歴史に春帆楼は登場します。
日清戦争で敗北が濃厚になった清国が日本に講和を打診してきました。伊藤は講和会議を下関の春帆楼で開催することに決定し、日本全権の伊藤と陸奥宗光、清国全権の李鴻章が両国の代表団を率いて講和会議に臨みました。こうして1895(明治28)年下関条約(当時は馬関条約とよばれていた)が締結されました。
会議は春帆楼2階の大広間で開催されたのですが、外交史に残る講和会議の意義を後世に伝えるため1937(昭和12)年、敷地内に日清講和記念館が開館しました。会議の部屋を当時のまま再現し、講和会議に関する貴重な資料も展示しています。